7 奈落の底

世界の奈落の底

たいていの場合、白然のなかに隠れている素晴らしいものは、
日常から離れたところにあり、気に留めなければ通り過ぎてしまう。

日常生活から一歩踏み出して、見る方法に工夫を加えたうえで、
イマジネーションを働かせながら、あらゆる可能性に思考と感性を研ぎ澄まして観察し続けなければ見つけることができない。

それが自然科学というものかもしれないし、自然科学でなくても、
とかく大切なものはそんなふうに隠れているものだ。


世界の海のほとんどが深海である。

では一体、世界で一番深い海はどこなのだろう?

恐ろしくだだっ広い世界の海のなかで、もっとも深い海底がどこにあって、どれくらい深いのかという問いはシンプルだ。
だが、その問いに答えを見つけることは、まさに非日常の、純粋に科学的な挑戦である。

しかも、この問いに答えるには、多くの労力を必要とした。

実際に歴史を紐解いてみると、交易や漁業の手段としての海ではなく、
科学の対象として海というものを見つめ直したときに、
海水の下に隠されているものを発見する旅が始まった。

そしてそれは同時に、簡単には終着点に到達できない旅の始まりでもあった。

この壮大な知の挑戦に最初の一石を投じたのは、
先にも紹介した「チャレンジャー号」である。

軍艦を科学調査船に改造した船である。

時代は大英帝国の全盛期。
イギリスは1864年に、植民地のインドとの通信を迅速にするために、イランを横断する電信線を陸上に敷設していた。

また、それより前の1850年にはドーヴァー海峡のイギリス・ドーヴァーとフランス・カレー間に海底ケーブルを敷き、植民地各国とイギリス政府および王室の間に通信網を張り巡らせていた。

世界各国に植民地をもち、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたイギリスが、7つの海をまたにかけた大英帝国の力を遺憾なく発揮したのが、この海洋調査だったといえるかもしれない。

チャレンジャー号には、軍人に交じって7人の科学者が乗り込み、科学調査の指揮をとった。

彼らはこの航海で、492か所の海底の深さを、そのたびに船を止めて一日がかりで鍾を使って計測した。

錘をつけたロープを船から降ろして、海底にぶつかる感触が得られたところでそのロープの長さを測るという、今から考えると気の遠くなるような大変な作業である。


また、この航海で発見した新種の海洋生物は4717種にのぼり、
サンプリングした生物やデータをまとめるのに20年近くを要し、
その百科は50巻にもなったというから、
いかにこの海作調査が本格的で、かつ収穫が多かったかがわかる。

さて、この航海の大きな成果のひとつが、
北西太平洋のマリアナ諸島の近くに8183メートルの深い海域があることを発見したことである。

その当時としてはこれが知られているなかで世界でもっとも深い海底だった。

マリアナ海溝は、長さおよそ2878キロメートル、
幅およそ81・5キロメートルの海溝である。

その後、その海域のまわりを、
ロシア、イギリス、日本、アメリカがそれぞれ個別に調査船を出して計測したが、数字はバラバラだった。

つまり、世界最深地点の正確な場所と水深は、
人類がその場所にだいたいの目星をつけた19世紀後半から一世紀以上たっても、なかなか決着せず、
もっと深かったり浅かったり、
じつに曖昧模糊とした知識でしかなかったのである。

この理由はいろいろ考えられるが、
水深を測るのに、前述のように錘を使う方法や、
水圧を測ってその値を水深に換算したりする方法、
海中の音速度の補正をしないまま音の反射時間から水深を測る方法
などが使われたが、
あまりに深いために、どうしても誤差が大きくなってしまったことが主原因である。

1951年、
イギリスのチャレンジャー8世号が1万メートルより深い場所を発見し、

チャレンジャー海淵と命名する。

1993年、
音響を使ったその後の複数の測量結果から、
その近くの場所が世界最深部として

水深1万920士10メートル

であるという結論に達し、世界的に認められた。

その後、
1995年に
日本の無人探査機「かいこう」が
水深1万911・4メートルを記録した。

場所は、
グアム島から南西に約390キロメートル離れたところ、
正確には
北緯11度22・394分、
東経142度35・541分
の海底である。

現在この場所には、
水深1万911・4メートルの世界最深部として、

「マリアナ海溝チャレンジャー海淵」

という名前がついている。

では、その世界最深部の海底には一体どのような景色が広がっているのだろうか?

実は人類はたった一度だけ、
その深海の果てに足を踏み入れたことがある。

今から40年以上前の1960年1月23日、
アメリカ海軍のドン・ウオルシュと、冒険家ジャック・ピカールが
バスチカーフ・トリエステ号(深海潜水船バチスカーフという型式の潜水船。bathy=深い、scaphe=小型船という意味)
でチャレンジャー海淵に到達した。

バチスカーフは、空を飛ぶ気球から発想を得て作られた。

鋼鉄の重りで下に向かう力を得る一方、
ガソリンをタンクに詰めた浮力装置によって上向きの力を得て、両者を制御することで深度調節するという、当時としては最新鋭の有人潜水船であった。

ガソリンが選ばれたのは、海水より軽く、圧力で体積が減らないためである。

発明したのはジャック・ピカールの父であり、気球研究家として名高く、「潜水船の生みの親」と呼ばれたオーギュスト・ピカールだ。

マリアナ海溝は世界最深部であるだけに、水圧は暴力的といっていいほど強力だ。

水圧は水深10メートルにつき約1気圧ずつ増加するから(実際には密度が変化するから、もう少し複雑だが)、
水深1万1千メートルでは約1100気圧もの高圧が船体にかかることになる。

もし浸水でもしたら、中に乗っている人間は、即座にぺしゃんこに押しつぶされてしまうだろう。

当時の記録によると、
実際に9906メートルのところで、彼らはキャビンを揺らす大きな音を聞いたという。

厚さ7・6センチメートルのアクリル樹脂製の窓にヒビが入ったが、奇跡的に残りの潜水時間をもちこたえた。

そして潜り始めてから5時間以上かかって、
1万912メートル(当時の計測による水深)
に到達した。

結局、彼らが海底にとどまることができたのはわずか20分だったが、

小さくて平らな魚(ヒラメの類)やエビ、数種類のクラゲを目撃したという。

深海底には生物などいない、まして脊椎動物など生存できるわけがないだろうと思われていた当時、この証言は、世界最深部に到達したという偉業とともに、驚きをもって世界中に伝えられた。

チャレンジャー海淵に人類が降り立ったというのは、
後にも先にもこの1回だけである。

彼らの記録はまだ塗り替えられていない。

新たに莫大な国費をかけて、世界最深部に人類が降り立つだけの積極的な理由が見当たらないという理由だろうが、

宇宙空問と同様、
一度はそこに行ってみたいという冒険心をくすぐられる場所ではある。

《深海の科学》 瀧澤美奈子 2008年5月初版 ペレ出版 より引用

【 しんかい6500説明 】

「しんかい6500」の居住空間は内径2.0mの耐圧殻の中。
そこにパイロット2名と研究者1名が乗り込み、調査を行う。

耐圧殻の中には計器類などが設置されているため、居住空間はもっと狭くなりる。

耐圧殻は軽くて丈夫なチタン合金でできており、厚みが73.5mmある。

水深6,500mでは水圧が約680気圧にもなるので、耐圧殻の少しのゆがみが破壊につながる。

そこで、可能な限り真球に近づけられた。
その精度は、直径のどこを測っても0.5mmまでの誤差しかない。